昭和43年1月22日  夜の御理解



  御理解に、「女は家の家老じゃ、家老が良うないと城がもてぬ」と、いうように、または「女は世界の田地である、田地が良うないと良いものが生まれない」という種を蒔いても田地が悪かったら良いものが育たないということになります、というようにこの女性に対する、その一つの見方というものを教祖はそういう風に見ておられるんですね、そこでその女は家の家老としての信心、ね、なるほど女は田地としての信心修行というものが、なされていよいよ良い田地にならしてもらわなければならん。
  今日はあの、女の方に対する御理解だの、このことは、あの女だけ頂くことじゃないのですけれども、今日とりわけそういう事のお取り次ぎが、まあさしてもらいましたんです、ある方がお参りを、ある嫁さんが参ってまいりまして、もう本当にぎりぎりのお届けでございますよね、一家を上げての信心さして頂いておる、特におばあちゃんの信心でそこの家の信心がはじっ、まあ言うなら信心になったと言うほどにおばあちゃんが熱心な信心をされる、もう本当にやっぱ有り難いと言われる、ところがその嫁さんが言われるのにですね、本当にあのこんな事をお取り次ぎ願うということは結局自分が苦しいからお取り次ぎ願うのでございますけれどもと言われて、お取り次ぎをされるのですね、「もう本当に先生昨日はじいちゃんなあだすね、もう本当にどんなに親切でも、どんなにあのもう、まあ可愛がっても良い」とこう言われるんです、「ところがもうおばあちゃんばかりはですね、もう有り難い有り難いは言いなさるそりゃやっぱ合楽にお参りをしなさるですけれどもですよ、私は前でおばあちゃんと一緒に御飯頂きよると御飯の味がせん」っち言われる、私はもうそれを聞いてから、本当に女の業の深さというものを感じましたですね、やはり昔から金光教的ではありませんですよね、女子というのは業が深いっちいう、これはもうどこでもそれがだいたい言えれる事なんですよね、「おじいちゃんは良いけれどもね、もう家のおばあちゃんは、」昔から鬼じいさんてなんてんっち言うたもんなありませんばってんね、「家の婆さまは鬼婆んごたる」っち言うちからやっぱ言うでしょうが、そういうものが女には確かにあるんですよきっと、これはもう例えば私の家内あたりでもそうですけれども、家の家内がここに鬼婆さんになっていくというわけでもないですけれどもですね、子供達が言う事聞かんでしょ、そすとその、「もう私、私ばっかり言わせちから、あなたば(?)言うな」っちまるきり悪言うとばけしかくるようなことを言う、なるほど女はここにいき助かりにくいものがあるなと思うんですよ、「何でん悪かことな私一人、言わんでん良かことを言いよるとじゃないか私」って言うわけですね、ならそのどこでもそげな風ですよ、ね、「あなたもちっと言いなさない」っちから、まるきりその信心じゃないことを、その、男にたきつける、そういうところにですね、私は本当、女子、女子っち言うてから、おかげださなんとこがあるのじゃないかと、根本的にですね、それこそ教祖は「女は世界の田地」とさへおっしゃっておられるのです、田地としての働きが全然出けてない、ね、田地と言やあどういう汚い物を持ってこられても、どういう物を持ってきてもそれこそ男よりも、それを黙~って受けていくという、そういう、ね、「家老が良うないと城がもてん」「女が良うないと家がもてん」と言われておるのにです、そういうところをその、田地としての信心が出けておらんからじゃなかろうか。
  でだからある、御婦人の方に私お取り次ぎさして頂いたんですけれども、最近、息子さんが嫁さんをもらわれました、「もう本当に先生私共のこげな所に、このよ、良か嫁子ば頂いてから」もう毎日毎日そのお礼だった、ところがこの頃はだんだん変ってきた、ほんの(?)、第一気のききなさらん、もう裏に引っ込んだぎり、人ともの言うとが好きなさらん、もう本当は朝の晩御飯の用意しなさるだけ、本当に私は、もうほんっ、ここでもう本当に言うならば手本っち言われるごたる信心しておられる婦人ですこの方、それがうんなら、もうちょいと自分の胸の内を誰かに聞いてもらわにゃん、人の誰でん話しよる、嫁子さん方のああいう、の悪口をはやしよんなさる、そしてから嫁さんの里にまで行ってから、お父さんにああだこうだと言うたと言うてからお届をされるんですよね、で私は今日は黙って聞いとったけれども、今日はそのことを私申しました、今朝の御理解から、もう本当にあの、(?)先生のいわゆる御用一筋ということからです、「もうあんた達は、あんたはですねその嫁さんをこう育てる、そのそういう御用をさしてもらわにゃいかんですね」っち、「私ん家内もそげんでした」っち、私共がもう遅うまで信心話しやら一生懸命もう親子兄弟しよってしよりますとですね、家内がつーっと二階さんへ上がりよったです、それけん(?)達は心配してから、「五十枝さんはどうかあるとじゃなかろうか」っち言いよりました、ところがですね、そういうやはり性格なんですよ、もう何かこうもう、こう一生懸命、それがいかにもおせずりしとるように見えるわけ、もうそういう雰囲気がいてたまらんのです、その育った家庭が違う、ね私共の、私の育った家と家内が育った家が、まあ家風が違うのです、親子兄弟そうやって集まって本当に信心話しでもするという家庭に生まれていないのです、っともう十二時まででも一時まででも、信心話しでも始めたらそげんでしたのに、家内は二階さんへすーっと上がって、もう寝るわけじゃありませんけれども、二階で、結局まあ何かこそこそしてるわけですね、そういう中に私の方ではもう本当に家内でも妹でもそれこそもう、「五十枝さんが姉さんが」で、もう本当に暖かいと言うか何かこう、もうそれこそあの人を育てるための御用を言わず語らず中にさせて頂いてきたと、そして今では、嫁やら娘やら分からんというぐらいにおかげを頂いておるという話しを私はさして頂いたんです、ね、「だからあんた方はね、その嫁さんば、ならその嫁さんが悪人っちいうわけじゃなかってしょうが」て、ね「この人がおらん(?)でしょうが」て、ただ、とにかく店の方へ出てきてから、それ、そのおしゃべりをしようごとないという、ただ裏の方へ、いわゆる引っ込んでしもうてから出てきなさらんとこういう、本当に始めに言いよった「本当に家げな所に」ということを一つ、起点にして、その嫁さんをね、私は育てていって、例えば里のお父さんやらお母さんに話す時には、本当に良か嫁子さんを頂いて有り難いということだけを言いなさいって、もう来て間もなくです、とても親の気持ちになってみなさいって向こうも、「あれが気のつきなさらんこげんもしなさらん、あげんもしなさらん」っち言うなら、それこそ親はどげんあるやら分からんっと私、ね、「本当に家の娘が気が付きませんけども、気のききませんけども、どうぞよろしゅうお願いします」ということを向こうに言わせるためには、こちらがそういうような、まあ言わせるということはなんですけども、そういう相手から感謝されるようなおかげを頂いて本当にその、嫁さんが育っていくために、その御用をさして頂きなさい、ね。
  本当にその、思います、今日ある、あるって言うはこの村内の方ですけれども西田さん、ついこの頃息子さんを、をほんのあっと言う間に亡くされましてですね、じゃなくてから養子にやっておられる、でそれで、二ヶ月ばっかり前にその嫁さんが亡くなられて、二ヶ月後には自分の息子、養子にやっとる息子さんが亡くなられました、それこそあっと言う間に亡くなられたんですね、具合が悪いって病院に入院して、そしてその、え~、いわゆる全快さして、全快のおかげを頂いたともう大丈夫と言うて、退院して帰ってきて、「はあこれで良かったおかげ頂いた」と言うてその喜んでおんなさった一日束の間であった、本当に一家中で喜んだのは一日だけでしたって、明くる日はもう亡くなったわけです、そういうような事のあった後なもんですから、あの話しを今日聞きましたらあの、善導寺のあの、お~、三井交通ですね、三井交通にその息子さんが出ておられるんだそうです、この石浦から、それが私の息子で、善導寺のどっか中学校の人の住宅かなんかにおりますっち言う、それがその、診察したところ、どうもこの頃「御飯がいけん御飯がいけん」と言いよったから、診察したところが、癌じゃなかじゃろかという疑いで、そのまあ(?)もありゃぁ手術すりゃ良かけんで、え~、手術をしよう、と言うてまあその、今日検査があるっていうわけなんです、ね本当(?)なさらん、もうそれでもうそれを聞かれてからもうそれこそもう、「また殺さにゃならんか」と思うてからその、嘆き悲しまれるわけです家でですね、で「今度だけは先生いっちょ助けて下さい」っち言うてから今日は、朝もお参りしてきておられました、もう私はそれば聞いちからどうかなっとりましたって、今朝お参りしましたばってん、お届された、と言うのがですね、「もう着物ば裏返し着てきた、であんまり可笑しいけん帰ってからまた出直しました」っち言うてから出てみえましたんです、「それがもう先生もうほんに男っちゃどうしたらほんに、なんじゃろか私がこげん悲しみよるのに、家のじゃっちゃまはあんたおけ~んごしてからニコ~ニコ笑いよるもん、腹ん立って腹ん立って」っちてからここで腹かきなさりますもん、ね、ここに女子の助かって、女子が助かってない、男が助かっとることが分かるでしょうが、ね、「っほんにおまえ、そげんお前はそげん心配してからどうするか」て、その心配する心がおかげにならんのですからね、もう本当にその、私はね、本当にあの女、確かに女は助かりにくいものを持ってるっち私は思うです、なるほど女は、やはりこの、いわゆる声から違うのですからね、やっぱ心もそうじゃなかじゃろかっち思いますたい、本当ですよ、うん、どうしても女子はやはり金切り声きき声になるでしょうが、男はですね何とはなしにこう、バスのきいたと言うか、ね、ありゃ本当ですよ、だから信心はですね、そこにっから一つお互い頂き直さにゃいかんと思うんですよ、もう本当にそうですよ、もう皆さんは笑いなさるばってんから、そうじゃなかじゃろかっち私思いますたい、それが苦労せんで良かこつに苦労する、そして苦労しとらんじいさんまで「あんたばっかりは」っち言うちから、ね、それこそ、もう人んことは悪い、その何日、もう私は昨日ですね、あの、秋永先生とこのおじいちゃんの米寿の祝い、いわゆる八十八のお祝いに、いやもう本当に、赤の頭巾に赤のちゃんちゃんこ、もう赤のじばん、もう赤ずくめでですね、もうそれこそもうそれこそ大満悦なんです、ニコニコとしてあのお祭りを受けられ、皆の祝福を受けられておられるおじいちゃんの姿を見てですね、本当にこの人は長生きをしなさるはずだと私が思うんですよ、ね、それはあの、お、十年ばかりはですねこちらに養子にみえてから、仕事に行ったきり帰えなさらじゃったですね、そしてその、とうっ、東京の田舎の方で所帯持っちゃるとです、そうです、ところが大震災にあわれてから、もうそれこそ何もかにも焼け出されてしもうて、すてんぽてんになってから、(?)に帰ってきなさったんです、それでそれに秋永先生とのぶ子さん姉さんが出けられてから後はそげんじゃた、ね、でそん時にその、まあこちらそのまあ、入れるか入れんかっちいうような問題もあったそうですけども、おじいちゃん帰ってきなさったもんですから、入れられん、その時におじいちゃんの心の中に決められたことですよ、「もう自分のね、もうこの家内に家の子供達にでんね、不平不足は決して言わん」っちいうのが、その時心に誓われたことだったそうですよ、もう本当にこの人のおばあちゃんでん子供にでん、悪か顔しなさったとも私共も見た事もなかですが、秋永先生達が言いますもんね、それはもう本当にそりゃ、ならあそこ文男さんが言いますもん、「もう家のおじいちゃんばっかりには、もうどげんほったこげんしたって良か」と言い、言われる、まあおばあちゃんがまあ嫌っち言うわけじゃなかろうですよ、ばってんですたいね、ならあそこのおばあちゃんのでんそうですよ、「そりゃもう有り難うして有り難うして、もう文さんこげん大事にしてくれます」っち言うばってんから、腹ん中じゃどうじゃろかっち私が思うことが時々あるです、ね、ですから本当にあの、私は男の方が助かりいい、なにものかが、持っておるのじゃなかろうかと思う、だから男は女の、お、女は男の信心の素晴らしい、「どうしてんなら言いわんですむじゃろか」「どうしてニコニコしておれるじゃろか」というところを、(?)は頂かなければいけんのじゃなかろうかとこう思う、ね、「女は世界の田地じゃ」と教祖がおっしゃらる、田地が良うなかなえければ良い物が生まれん、ね。
  今日、私、こたつの間へちょっと入りましたら、栄四郎がお裁縫しよりますもん、「ほぉあんたお裁縫しよる」っち私が言うたら、「何ば縫いよるの」っち言うたら、枕カバーどん縫いよる(笑)、もうほんに私はもうびっくりしましたですね、そして「これも僕が縫うた」っち言うちちから、(?)でちゃんといるもんも縫うとる、それは勿論その「このお裁縫箱もあんたが」っち言うたら「僕が」、(笑)、本当にもう時代が変れば変るもんだと思うでよね、ね、本当に私は思うのにね、男には男、女には女のいわるゆあり方というのがやっぱあるとですよ、ね、それこそおじいさんは山に芝刈りにであり、おばあさんは川に洗濯にの、でなからにゃいかん、それが最近のおじいさんがね、洗濯しよりなさるような感じですよ、これはどこが何かが狂ってると思いますね、ね、うん、それでですね、これは私が思うんですけれどもあの、だいたい、あの、こう女の人がこう(はりどん?)なんかするっていったようなことやらを、もうやっぱりほんなこっちゃないと思うですね、昨日その学校の、その成果の中にあるわけね、科目の中に、昨日の、いわゆる枕カーを縫うのがまあ宿題になっとるかなんかでしょうたい、だからまあしておるわけですけれどもです、でそれがもうどうって言うとじゃないけども、何かどこかが狂ってる感じです、ね、ですからどうでも一つ私は、本当に男も助からならんが女も助からなきゃならない、ね、それけんお互いがです、私の家内じゃなかばってん、「あなたばっかり(?)で私ばっかり言わせちから」っち言うちからけしかけるごたる風なことを言わんなりです、「どうして男は言わんですむだろうか」というところをですね、私は一つ頂いて、そこにきに、世界はでんっ、「世界の田地」とおっしゃる、私は男だからっいやそれこそ、今日の(?)じゃないですけれども、ついこの頃嫁を亡くし、または息子を亡くし、また次ぎの弟が、いっちょ違いだそうです、まだ若いですね、が、癌じゃなかろうかというようなを聞いて、とてもそれを悲しく思わない親があるはずがない、ね、けれども「あなたばっかりは」っち言うちから、そのばばさんが、悲しまさらんけん腹かきよりなさる、ね、そげなことでは私が、おかげが頂きにくいって私は思う、ね、でもう一つね、あの教祖がおっしゃる、確かに女は、ね、その殿様という風におっしゃってない、うん、やっぱ大人男が殿様ならば、男が、女は家老という風に、まあ男が殿様っちゃおっしゃっておられんばってん、まあそういう風に感じるわけなんですよね、うん、

                                     ※途中切れ